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歴史

 塩尻市は長野県の中央部に位置しており、市域は松本盆地の南端に広がる北部と木曾地方の北東端にあたる山岳地帯の南部とに大別されます。木曾平沢は、中山道や奈良井川が南北に縦断する市域南部に位置し、谷あいを北流する奈良井川が大きく湾曲した河川敷に発達した集落です。

 慶長3年(1598)に奈良井川の左岸にあった道が右岸に付け替えられたことを契機に、周辺の山林によって生活していた人々がその道沿いに居住することで、集落が形成されていったと考えられています。この道は、古代・中世では吉蘇路や木曾路などといわれていましたが、徳川幕府により慶長7年に中山道の一部として整備されたものです。

 

 木曽平沢は、檜物細工や漆器などの生産で生計を立ててきました。当初は「木曾物」と総称されていた漆器も、近世後期になると「平沢塗物」の名で流通するようになりました。さらに、明治期以降も本堅地漆器の製造技術を導入するなどの技術革新によって成長し、「木曽漆器」として1975年経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定されました。現在、日本有数の漆器生産地(日本三大漆器生産地)となっております。

町並みの特徴  

 保存地区は、東西約200メートル、南北約850メートル、面積約12.5ヘクタールの範囲で、奈良井川の河川敷に広がる集落と、その北の丘陵に鎮座する諏訪神社を含んだ地域です。地区のほぼ中央に、現在は本通りと通称される中山道が南北に縦断し、その西側に並行して金西町の街路が位置しています。それぞれにその両側に、近世後期に遡る奥行きの深い短冊状の敷地割が残されています。

 この本通りと金西町の街路に沿って形成された町並みは、それぞれに異なった景観を見せています。本通りは、道の両側で漆器の店舗を持つ主屋が多く見ることができます。これに対して、近代になって開削された金西町の街路は、店舗を持たない主屋が建ち並んでいます。つまり、店舗の建ち並ぶ本通りが漆器の町を印象づける景観であるのに対して、金西町では漆器職人の住まいが建ち並ぶいわば職人町といった景観を見せています。

 木曾平沢は、店舗の本通りと職人町としての金西町の街路が一体となり、漆器生産から販売までを行なう漆工町と呼ぶにふさわしい町並み景観を呈しています。

伝統的建造物


 木曾平沢地区の建造物は、漆工を行なう町として多くの特徴を持っています。敷地には、街路に面してアガモチと称する空地を取って主屋を建て、中庭を介して漆塗の作業場である塗蔵を配し、その奥に離れや物置などが続きます。これらの主屋や塗蔵は、各敷地においてほぼ同じ位置にあり連たんしています。さらに、主屋は敷地間口いっぱいに建てずに隣家との間に余地を取り、塗蔵への通路とする例が多く、隙間無く主屋が連続する町並みとは異なった様相を呈しています。

 主屋は、中二階建あるいは本二階建の切妻造平入でかつては板葺石置屋根でしたが、現在では亜鉛鉄板葺となっています。間口は三間が標準的規模で、平面は南側の通り土間に沿って表からミセ、オカッテ、ザシキが一列に並ぶ一列三室を基本としますが、敷地間口の広さによっては二列六室の平面にもなります。ただし、敷地奥への通路を有する場合には、通常土間を奥まで通さずに敷地奥への通路との間に戸口を設けます。中山道沿いの主屋では、近代以降、ミセの床を撤去し店舗とする例が多く見られますが、金西町では少数にとどまっています。

 塗蔵は、二階建、置屋根の土蔵造で、湿度と温度を保てるという漆塗の作業に適した建物といわれています。内部は、一、二階ともに板敷の一室空間としていますが、二階では一階から埃が進入することのないように、階段を間仕切るようにしています。一階で下地付けや研ぎの作業が、二階では埃を極端に嫌う中塗や上塗が行なわれます。このような塗蔵は、ほかの地域に例がなく、漆器生産で生計を立ててきた木曾平沢を特徴づける建物となっています。塗蔵のほかにも、この地域でホウゾウ蔵と称される一般的な物を収納するための土蔵もありますが、塗蔵が開口部を大きく取り引戸とする点のほかは、白漆喰塗の大壁造で共通しています。

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(代表的な町家一階平面図)

伝統的建造物群保存地区

 木曾平沢は、近代においても漆器産業の面で全国でも有数の産地として発展してきました。昭和24年には、旧通商産業省より重要漆工集団地の指定を受け、昭和49年に制定された「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」により、翌年に同省より木曾漆器が伝統工芸品に指定されました。さらに、木曾漆器の製作用具や製品などの民俗文化財の収集事業によりまとめられた3729点の資料が、平成3年に国の重要有形民俗文化財に指定されました。

 これらの漆器の技術や歴史としての検証が実を結ぶにつれ、住民はこれらの文化を育んだ地域に目を向けはじめました。行政は平成14年に町並み保存に特化したセクションを設置しました。翌年には、木曾平沢町並み保存推進委員会が組織され、伝統的建造物群に関する学習会、先進地視察研修、町並み講演会などを実施するに至りました。

 このような、住民と行政の協働の成果として、文化庁の指導を受けながら平成15・16年の2ヵ年にわたり、独立行政法人文化財研究所奈良文化財研究所に依頼し、漆器の町木曾平沢を対象に伝統的建造物群保存対策調査が、町並み保存推進委員会の尽力の元に実施されました。この調査は、『木曾平沢-伝統的建造物群保存対策報告-』として平成17年3月に刊行されました。その中で、木曾平沢の漆工に立脚した文化財としての町並みの特性が明らかにされ、さらに今後の保存と利活用について提言がなされました。

 塩尻市では、平成17年度に住民合意が得られたことを受け、文化庁、長野県との協議、市議会、教育委員会及び伝統的建造物群保存地区保存審議会の審議を経て、教育委員会により平成17年11月22日に、保存地区とその地区の保存整備に関する基本方針となる保存計画を決定しました。この決定の報告を受けた文化庁では、国の文化審議会に諮問いただき平成18年4月21日に、塩尻市木曾平沢伝統的建造物群保存地区の選定が、文部科学大臣に答申されるに至りました。さらに、7月5日に官報告示がなされ、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。

保存地区の概要
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(漆工町・木曾平沢重要伝統的建造物群保存地区範囲)

 (1)名 称:塩尻市木曾平沢伝統的建造物群保存地区

 (2)所在地:長野県塩尻市大字木曽平沢字東町、字東町裏、字西町、字西町裏、字太田、字川原、字上ノ山、字宮ノ原及び字宮下の各一部

 (3)面 積:約12.5ヘクタール   

 (4)選定年月日 : 平成18年7月5日

 (5)伝統的建造物等特定数


            ・建築物 : 201件
            ・工作物 : 20件
            ・環境物件 : 16件

 (6)根拠条例・規則等

            ・塩尻市伝統的建造物群保存地区保存条例(平成17年3月25日条例第44号)
            ・塩尻市伝統的建造物群保存地区保存条例施行規則(平成17年3月28日教育委員会規則第3号)
            ・塩尻市伝統的建造物群保存地区保存事業補助金交付要綱(平成17年3月28日告示第28号)
            ・塩尻市木曾平沢伝統的建造物群保存地区保存計画(平成17年12月1日教育委員会告示第13号)

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